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能登の傷を伝える方法は?東北で見えた15年先「僕らは学ばねば」

能登半島地震の爪痕が残る寺で、復興ツーリズムの拠点づくりが進む。東日本大震災の「15年後」を見据えた人々の語りが、いま何を変えようとしているのか。

能登半島地震の傷をどう受け止め、次の命を守る言葉に変えるのか。現場で交わされたのは、静かな祈りと、具体的な行動指針だった。

石川県穴水町曽良。海に面した石段を上った先にある千手院では、2024年元日の地震で瓦が落ち、雨漏りが続いている。元旦の空気のまま時間が止まったように見える本堂の前で、地元の男性はボランティアに最初に伝える。「地震があったらすぐ手を止めて、身を守ることを優先しましょう。この場所は小高くて、津波の避難場所になっています。本当に大きな津波が来た場合に備えて、裏山に逃げるのはその道です」

寺の案内役を務めるのは、町内でガソリンスタンドを経営する森本敬一さん(55)だ。震災前からNPO法人・チーム能登喰いしん坊を運営し、地元の食材を軸に地域を盛り上げる活動を続けてきた。北陸にある空海伝説を巡るツアーを検討していた矢先の地震だっただけに、いまの復興は「戻す」だけではなく、何を次につなげるかを考える作業になっている。

森本さんが抱える数字の感覚は、厳しい現実に近い。町の人口は統計上、震災前から1割減ったという。しかし、体感ではもっと減ったと感じるという。ガソリンスタンドの常連客のうち10人が亡くなったこと、仮設住宅に引きこもり孤立を深める人々の顔が、脳裏から消えない。だからこそ「能登を訪れる人が増えれば、地域の希望につながるのでは」と考え、千手院をNPOとして管理し、復興ツーリズムの拠点にすることを目指して修復にも取り組んでいる。

この春から、案内の中に災害時の行動を呼びかける要素が加わった。理由はシンプルで、どこか切実だ。「ここで地震が起きたと、肌で感じてもらいたいと思うようになった」と森本さんは語る。被害を“遠い話”にしないために、場所そのものを使って伝える。現場でしか生まれない納得感を、来る人の記憶に残したいのだろう。

そのきっかけの一つは、3月11日だった。森本さんの姿は、宮城県石巻市の石巻南浜津波復興祈念公園にあった。支援を受けてきた石巻市のNPO法人・MAKE HAPPYの理事長・谷口保さん(49)に誘われ、東日本大震災の「3・11のつどい」を手伝った。「15年後の能登が想像できるかもしれないから」と言われたことが、今の行動につながっている。

“15年先”を想像する力

災害の時間は、被害の直後よりも、その後の暮らしで形を変えていく。復旧が進むほど見えにくくなる痛みもあれば、年数を重ねるほど社会の歯車がズレていく問題もある。東北の経験が、能登の未来像として立ち上がったという点で、森本さんの学びは単なる感想ではなく、運用の基準になっている。

ここで重要なのは、教訓が抽象のまま置かれないことだ。津波の避難場所がどこか、裏山へ逃げる道はどれか。目の前の地形と導線が結びついた瞬間、人は“もしも”を現実の体の動きとして理解しやすくなる。語りが具体的であるほど、聞いた人が家に戻ってから家族に伝えやすい。復興ツーリズムが単なる観光で終わらないのは、こうした接続の仕方があるからだ。

備えは地域の言葉になる

被災地での語りは、当事者の責任感だけで続くものではない。訪れる人、支援する人、地域の担い手がそれぞれ“受け渡し”に加わる仕組みがあると、言葉は根付く。森本さんは千手院を拠点として、復興の場に人を呼び込みながら、同時に避難の考え方を共有しようとしている。

現実には、孤立が深まる速度も早い。ガソリンスタンドの常連客が減り、仮設住宅に閉じた暮らしが増えるほど、地域の中で日常的に声をかけ合う回路が細くなる。だからこそ「訪れる」という出来事が、希望だけでなくコミュニケーションの糸にもなる。人が来ることで、地域の活動が止まらず、伝える人が“語り続けられる場”が確保されるからだ。

一方で、災害の記憶が薄れていくことへの焦りもあるはずだ。時間が進めば進むほど、説明は簡略化される。しかし森本さんが本堂の前で最初に伝えるのは、最小限で強い言葉——まず止まって、自分の身を守ること。津波の避難場所、裏山へ逃げる道。日常の中で意思決定するための優先順位だ。

これからの復興ツーリズム

復興ツーリズムは、賛否が分かれる領域でもある。被災地を消費するのではないか、当事者の痛みが軽く扱われないか——そうした懸念があるのも事実だ。だからこそ、千手院の試みは「見る」よりも先に「学ぶ」を置いている点で、性格が違う。現場で“行動に落ちる知識”を持ち帰ってもらう設計になっている。

今後、能登の傷がどう伝えられていくかは、修復の進み方だけでは決まらない。どのような順序で、誰が、どんな言葉を使うのか。森本さんのように、地域の仕事とNPOの活動をつなぎながら、災害の学びまで取り込んでいく人が増えるほど、備えは個人の問題から地域の言葉になる。

MISRYOUMは、災害の後に残る“傷”が、いつか風化する前に次へ手渡されるプロセスを見つめ続けたい。15年先を想像する視点は、遠い将来の話ではない。今この瞬間の導線が、次のだれかの命の動きになるからだ。