明石市民のPFAS血中濃度 水源で「地域差」 京大名誉教授が報告

明石市でPFAS血中濃度に地域差がある可能性が示された。京大名誉教授が市東部と西部の検査データを分析し、東部のほうが高い傾向と報告した。
明石市で有機フッ素化合物(PFAS)の“血中濃度”に地域差がある可能性が浮上した。
水道利用の差が影響か
PFASをめぐっては、明石川流域で健康への影響が懸念されてきた。26日に兵庫県明石市で開かれた報告会で、京都大学の小泉昭夫名誉教授は、流域の水を水道水として使う市東部の住民のPFAS血中濃度が、使っていない市西部の住民より高いことを、統計的に有意な差として示した。PFASは総称で、体内に残りやすい性質があるとされるため、今回の「比較」には関心が集まった。
報告会で扱われたのは、個別の市民全員を対象にした検査ではない。市は、公費で血液検査を実施していないという。そこで、市民団体「明石神戸PFAS汚染と健康を考える会」と県民主医療機関連合会が、県民対象の血液検査として実施した結果をもとに、明石市民計53人のデータを抽出し、小泉名誉教授に分析を依頼した。
東部は平均25.3ナノグラム
小泉名誉教授によると、血液検査結果から7種類のPFASについて比較したところ、市西部の住民は血液1ミリリットルあたり平均10.6ナノグラムだった。一方、市東部の住民は25.3ナノグラムで、東部のほうが高い傾向が確認されたという。報告会では「水源が影響を与えていると考えられる」との見解も示された。
数値は、住民の不安に直結しやすい。体内にある化学物質が、どこから入り、どれくらいの差があるのかが見えにくいほど、疑問は大きくなる。今回の報告は、少なくとも“水道水にするかどうか”という地域の条件に着目し、血中濃度の差を数字で示そうとした点に意味がある。
ただし、差が出た背景を断定するには限界もある。PFASは水だけでなく食生活など複数の経路があり得るからだ。報告会では、そうした幅も残しながら、少なくとも「関連の手がかり」として受け止める必要がある。
市は公費検査に否定的 議員は拡充要求
一方、明石市の姿勢は慎重だった。丸谷聡子市長は「科学的知見がない」「市単独でできるものではない」といった趣旨で、公費による血液検査に否定的な考えを示している。行政の判断は、限られた予算や調査設計の難しさ、そして“確からしさ”の水準をどう担保するかという現実に左右される。
そのため報告会では、市民側から次の一手を求める声も出た。市民団体の活動に関わる林丸美市議は「公費による血液検査で実態を把握すべきだ」と主張。約900万円あれば、統計的に有意とされる規模として300人程度の血液検査が可能だという試算も示した。
統計の“有意さ”は専門的で、一般には距離がある言葉だ。しかし裏返せば、行政が求める判断材料は「偶然ではない」と言えるだけのデータ量になることが多い。住民の不安は、数字の大小そのものよりも「ちゃんと確かめられているのか」に向かうことが多いからだ。
明石川流域での検出 浄水で低減
明石川流域では、過去に高い濃度のPFASが検出された経緯がある。神戸市西区では2021年、当時の国の暫定目標値の660倍にあたる1リットルあたり3万3千ナノグラムが見つかり、2023年2月にも4600ナノグラムが検出された。
明石市水道局は、活性炭による浄水処理などで、水道水に含まれるPFASを暫定目標値(今年4月から水質基準値)未満に低減させているという。さらに昨年度からは、阪神水道企業団からの受水も開始し、明石川での取水停止に向けた取り組みを進めている。
ここで重要なのは、「水道水の数値」と「血中濃度」が同じタイミングで一直線に動くとは限らない点だ。浄水で下げても、過去に摂取した分が体内に残っていれば、血液検査では差が“見え続ける”ことがあり得る。だからこそ、今回の結果を“現在の対策の効果が出ているか”という視点と、“過去の影響がどこまで残っているか”という視点の両方で読み解く必要がある。
今後の焦点は「検査設計」と「説明の継続」
今回の報告が示したのは、可能性の輪郭だ。水源の条件と血中濃度に差があるなら、次は検査の設計が問われる。どの年代、どの食生活、どの曝露経路をどう整理するか。データが増えるほど、住民の納得に近づく一方で、費用や手間も重くなる。だからこそ行政は“できない”と言い切るより、何が足りないのかを具体化して説明する必要がある。
一方で、市民団体側にとっても課題は残る。今回の分析は、特定のデータを絞って比較した段階であり、より大きな集団で再現性を確かめることが次の説得力になる。将来的には、公費検査の是非だけでなく、継続的な水質モニタリングと住民へのフィードバックをどう組み合わせるかが、論点になっていく可能性が高い。
PFASは、見えにくいところで生活とつながっている問題だ。だからこそ、数字を巡る議論は冷めにくい。明石で起きているのは、科学と行政、そして住民の不安が同じテーブルに並び始めた局面とも言える。次に何が検証され、どう公表されるのか。そのプロセスが、地域の信頼を左右していく。